第29話 襲撃(後編)

北の大陸は他の大陸に比べてかなり大きい。

広大な土地、それを古から統べていたのがエルヴァンスという名の一族だった。

遙か昔、エルヴァンスは由緒ある王家だった。

しかし、時代の流れから王室を廃止し今に至るのだが、北の大陸の民からは昔と変わらず。

今も尚、エルヴァンス家は北の大陸の絶対の一族である。

現在、エルヴァンス家当主には二人の妻と五人の子供がいる。

正妻は三人の男児を産み、もう一人の妻は一卵性の双児を産んだ。

哀しきかな、皆男児で当主は泣き崩れた。

家に仕えている者達は将来安泰だと大喜びしていたが、当主はそれにしたって一人ぐらい女児が産まれても良いでは無いかとぼやいた。

そんな当主はある日、使用人夫婦が事故死し夫婦を弔いに赴いた。

夫婦には小さな娘がいた。

名前はエルトレス。

当主は使用人夫婦の娘を引き取ろうとした。

しかし、娘に拒まれ。だが、娘の引き取り手は無く。

当主はエルトレス使用人として娘を引き取る事にした。

エルトレスを娘のように可愛がった。

出来れば、娘になって欲しかったのだが…。

そんな娘のように可愛がっていたエルトレスが行方知れずとなった。

エルトレスは当主の息子の一人であるキリヤと、行方知れずになる前日に口論していたと報告が来た。

キリちゃん、エルちゃんにツンツンし過ぎだからなあ…。

当主は報告をそれだけで流した。

エルトレスがキリヤに手を上げたと言われても、さして取り合わずに仕事を続けた。

だが、今になって後悔した。

何故、飛んで帰ってエルトレスの話しを聞いてやらなかったのか。

後にエルトレスが懐いていた執事長の妻に聞けば、エルトレスは意気消沈し随分と落ち込んでいたらしい。

エルトレスはキリヤとの口論後に、当主の息子のロイに連れられて南の大陸へと行ったらしい。

ロイは正妻によく似ており、昔から使用人をよく追い詰めるのだ…。

当主は南大陸から戻ってきたロイにエルトレスの事を聞けば、けろりとした顔でロイは笑って言う。


「どこかの森に置いて来たよ?」


当主は頭が痛い…と頭を抱えた。

土地勘の無い、見知らぬ場所に連れて行き森に置いてくるとはどういうことなんだ。

当主はすぐにエルトレスの捜索願いを出した。

高名なエルヴァンス家当主の依頼とあれば、とどこの機関も血眼でエルトレスの行方を捜したが現在、有力な情報は何一つとして入ってきていない。

当主の思いと捜索願いが出されているなどは知らず、エルトレスはエルヴァンスでの経緯をナイに語って話した。

ナイはエルトレスの話しを真面目に聞き、話しの後に頬を指先で掻いた。


ナイ「エルちゃん、僕どういう反応すべきかなあ?」


エルトレス「ん?」


現在、そんな過去の話しを悠長に語っていられる状態ではないのだが。

ナイはツッコミが出来ないのでエルトレスに答えを促す。

当のエルトレスはへらりと笑った。

今、ナイとエルトレスは人一人としていない空間にいた。

建物や、木々などは存在しているが人はいない。

これは誰かが街の光景を映し真似、結界の中に反映させたに過ぎない。

空間の根源は異質なもので、魔界に近い地上には無い力を感じるとナイは思った。

この空間の性質は歪んでいて、長居は出来ないとナイは思う。

二階建ての建物の陰にエルトレスと共に隠れてナイは現出させたマギア・アルマを握り締めて眉を寄せた。

対してエルトレスは何の影響も感じさせないほど、へらへら笑っている。


エルトレス「ナイちゃん、吸血鬼としてはまだ未完成だから辛いだろうねえ」


エルトレスはのんびりとした口調で言った。


ナイ「平気ってことはエルちゃんは吸血鬼ってこと?」


ナイはエルトレスを警戒する。

ってきり、この結界を創り出したのはノービリスかと思っていたのだが…。

だとするなら…、とナイが考えている最中にエルトレスは愛らしい笑顔と共にナイの首に指先で触れた。


エルトレス「ナイちゃん、私と会った時に何も感じなかった?」


エルトレスは首を傾げる。

彼女の問いにナイは心当たりがあった。

…そうだ、あの時に妙な懐かしさを感じたとナイは思い出した。

ナイの様子にエルトレスは微笑み、ナイの首に触れていた指を離す。


エルトレス「さあ、行こうか。隠れてたところでやり過ごせる相手では無いからね」


そう言ったエルトレスの表情は初めて会った時の無邪気な少女のものとは思えない、とナイは感じた。


●●

エルトレスはにこにこと笑顔を浮かべたまま、ナイの腕を引いて建物の陰から出た。

視界に映るのは何てことない普通の街並み。

建物が並び建ち、整備された石畳の道が続いている。

だが、エルトレスの目にはそれが歪んで見えた。

吸血鬼(ブラッディロード)の結界内。

出るには結界の主を倒すか、結界を破壊するしかない。

エルトレスとナイが建物から出てきたことで、二人の周囲に建つ他の建物の屋上から何かが降ってきた。

偽物の太陽を背にし、黒い塊が降り注ぐ。その数は無数と呼んでいいだろう。

二人に近づくにつれて、その姿は明らかになる。

…人形だ。

ノービリスのマリオネット達がエルトレスとナイに目掛けて飛んできた。


ナイ「ふええええ?!ちょっ、いくらなんでも数が…!」


ナイは情けない声を上げ、現状に焦る。

結界内ならば、どんな魔法を使ったとしても現実には影響しない。

ムーンライト・レイをうってもヴァイスムーンドライヴをうとうが構わないのだ。

…使えればの話しだが。


エルトレス「あれれー?多いねえ」


相も変わらず呑気にエルトレスは独特の雰囲気を出しながら言った。

エルトレスののほほんとした雰囲気と口調にナイは状況解ってるのかなあ…、と不安になった。

にこにこ顔のエルトレスは自分のすぐ後ろにいるナイを見た。


エルトレス「実戦、すごーく久しぶりだからなあ… 」


エルトレスはにこにこ顔をやめた。

目を細め、落ちてくるマリオネットを見てエルトレスは考える。

…どうにかなるか。

実に呑気な思考だ。


ナイとエルトレスの周囲にマリオネットが落ちてきた。

整備された石畳が落下の衝撃で割れ、穴が空き地面が露出する。

空いた穴の中心で土煙とともにマリオネットが立ち上がる。

マリオネット達はゆらりと揺れ、すぐにナイとエルトレスへと向かった。


エルトレス「あらら~、またせっかちなお人形さんだねえ」


どうにも、焦らない慌てない呑気なエルトレスののほほんとした言葉にナイは苦手だがツッコミを入れた。


ナイ「エルちゃん、来るよ?!ダッシュで来てるよ?!」


ナイは走ってこちらに向かって来るマリオネット達を指さして声を上げた。


エルトレス「そうだねえ。じゃあ、ナイちゃん後衛頼んだよー?まだボス残ってるから温存してね」


エルトレスは呑気な口調で言うと、ナイと自分を囲みつつある無数のマリオネット達の気配を探る。

付近の建物の中にもいるのか、綺麗な円を描いてこちらを囲もうとしているようだ。

エルトレスはナイに一番早く到達するマリオネットを瞬時に判断し、攻撃しなければならない。

…まあ、人形は読みやすいのだが。

エルトレスは両手それぞれにマギア・アルマの短銃を現出させた。

持ち手を握り、引き金に指をかけ。

エルトレスは右足を強く踏み出す。


エルトレス(…久しいな)


息を吸い、吐く。

己の魔力を構成し、構築。

エルトレスは口の端を吊り上げて、一気に駆け出した。

その速度は武人のものだ。


ナイ「え、」


目の前のエルトレスの動きの速さにナイは目を大きく開き、驚愕する。

正直、前衛はからっきしのナイは一般人に毛の生えた身体能力だ。

エルトレスの動きに全く目がついていけなかった。

打撃の音がしたと思い、見ればエルトレスはナイのすぐ後ろのマリオネットの頭を銃でぶん殴っていた。

その瞬間にエルトレスは目を細めて鋭い眼差しをした。


エルトレス「見つけた」


エルトレスは言って、殴ったマリオネットのボールの形状をした首に、手にしていた短銃の銃口をつきつけた。

何の迷いもなく、エルトレスは引き金を引いた。

銃口から魔力弾がゼロ距離で発射され、マリオネットの首の部分に魔力弾が貫通した。

そして、ガラスが砕け散った音が僅かに聞こえた。

それはナイの耳にも届く。

エルトレスはすぐに銃口を他のマリオネットにも向け、連続で魔力弾を発射した。

魔力弾は迷うことなく飛び、エルトレスが発射した魔力弾五発は全てマリオネットの首の部分を貫いた。

エルトレスが首を撃ち抜いたマリオネットは全て、地面に倒れる。


ナイ「なっ…」


見ていたナイは驚き、変な声を上げる。

エルトレスはマリオネットの弱点を見抜いている。

ナイは確信したが、一体何時気づいたんだと思いつつエルトレスの射撃の腕にも驚きが隠せない。

撃った魔力弾は正確にマリオネットの首を撃ち抜いて、行動不能にしている。

…撃つ速度も速い。

ひょっとしてアレクス以上に射撃の腕があるのか、とナイが思った矢先にエルトレスは手にしていた短銃を消した。


エルトレス「ナイちゃん、大丈夫?お人形の攻撃いってない? 」


エルトレスはマリオネットの方から視線を外してナイの方へと振り返った。

勿論、まだマリオネットの数は数えるのが面倒な程にいる。

エルトレスの付近にもわんさかと。

ナイはマリオネットお構いなしにこちらへと見てきたエルトレスに悲鳴を上げる。


ナイ「前見て!エルちゃーーーん!!」


まだ魔法を使ってないのに、ナイは既に疲労を感じていた。


ナイの悲鳴を聞いたエルトレスはへらりと笑った。

…こういうやり取りを凄く新鮮に感じる。

エルトレスは「うへへ」と変な声と共にだらしない顔をする。

だが、こんなやり取りをしている間にもマリオネット達は動いている。

エルトレスは周囲のマリオネットの気配をその間も探っていた。

ナイへと近づく動きを見せたマリオネットを感知したエルトレスは両手に魔力による武器を現出させる。


ナイ「剣…?」


ナイはエルトレスが持つマギア・アルマを見て驚く。

マギア・アルマでも武器を二種類構成するには何かと大変なのだ。

何せ、精神面に引っ張られやすいマギア・アルマだ。構成する武器は当然のように自分に一番合った武器となる。

それにマギア・アルマの構成は武器の形状をころころ変えられるものではない。

…エルトレスの魔力を扱う能力値が高くなければそう切り替えられるものでは無い筈だ。


エルトレス「ナイちゃん、一気に片づけるから魔法よろしくね!」


ナイの驚きを他所に、剣を手にしたエルトレスがナイに向かってウインクした。

言われたナイは慌てて、自分の手にマギア・アルマの杖を現出させて杖の柄を握り締める。

エルトレスは両手にそれぞれ長剣の柄を握り締めて駆け出す。

…やはり速い。

ナイはそう思いつつも魔法の詠唱を開始した。


エルトレスは走り、流れるようにマリオネット達の、ボールの形状をした頭と胴体を繋ぐを剣で一閃する。

首の部分を斬り、やはり割れた音が小さく鳴る。

それは隠されたマリオネットのコアだ。

コアの役割は主とマリオネットの魔力系リンク。そして、コアによってマリオネットは動いてる。


エルトレスは瞬く暇も与えずにマリオネットを沈めていく。

ナイはその光景をなるべく見ないように、目を閉じて魔法の詠唱に集中する。


ナイ(見惚れちゃいそう…)


…華麗で軽やかな剣さばき。

滅多にみられるものでもないだろう。ナイはエルトレスの戦いぶりに見惚れ、うっかり魔法詠唱を疎かにしてしまいそうになる。

それを堪えて、強く視界を閉じたのだ。

魔法の詠唱に集中するナイを狙って、マリオネットが数体ほどナイへと飛びかかった。

だが、エルトレスの銃撃で全て首を撃ち抜かれて地面へと倒れる。

魔法の詠唱を口にしていたナイはエルトレスのサポートで完成させた。


ナイ「ムーンライト・レイ!」


ナイは声を上げ、杖を前に突き出す。

宝石から紋章が浮かび上がり、ナイの前に大きく展開した。

銀を纏った白い光りの紋章、その中心から大きな光が放たれる。

光りは真っ直ぐに奔り、マリオネット達を呑み込んで一本道を創り出す。

ナイのムーンライト・レイに巻き込まれる直前、エルトレスはマリオネット一体を踏み台にして跳躍した。

跳んだ高さは三階建ての建物の屋上に届くほどの。

エルトレスは手にしていたマギア・アルマの剣と短銃を消して、ナイに向かって大声を上げた。 


エルトレス「ナイちゃん!!防御して!!」


ナイはすぐに自分に防御魔法をかける。

白い透明の壁がドーム状にナイを覆う。それを見たエルトレスは下へと身体を向けて、右腕を突き出す。

開いた手のひらから銀を纏った白い光りの紋章が現れ、エルトレスの前に展開した。

エルトレスの前に現出した紋章を見て、ナイは信じられないと目を大きく開き、口を開いた。

…月の魔法の紋章。

ナイは瞳を揺らし、目尻から涙が零れた。

エルトレスの姿をナイは見つめた。

エルトレスは同じ色の小さな紋章を四つ現出させた。

小さな四つの紋章は初めに展開した紋章の左右上下へと展開し、エルトレスは魔法の名前を叫ぶ。


エルトレス「…ヴァイスムーンドライブ!!」


エルトレスが魔法の名前を叫んだ後、一番始めに展開した紋章から銀色を纏った光りが発射される。

それはとてつもない大きな光だった。

高く跳んだままのエルトレスが放った光は上から下に向かって放たれ、マリオネット達とナイを易々と呑み込む。

残ったマリオネット達も、展開した四つの紋章から放たれた追撃の光に呑まれた。

マリオネット達は跡形も無く消滅し、防御魔法をかけていたナイだけがその場に残った。


大きな光はマリオネット達を消滅させたエルトレスの魔法は消えた。

エルトレスは魔法をかけて地面にゆっくり着地した。

その場の惨状にエルトレスはやり過ぎたと反省する。

…魔法発動の途中、ナイの防御魔法が壊れないか冷や冷やしたが大丈夫だったので安堵した。

エルトレスはナイの傍へと歩み寄る。

ナイは焦点の合わない目で遠くを見ており、エルトレスはやっぱりやり過ぎたと再び反省した。


エルトレス「ナイちゃん、ごめん。大丈夫?」


エルトレスはナイの目の前で手の平を振った。

ナイはすぐに我にかえって、瞬きを繰り返す。

エルトレスはナイに向かっていつものへらっとした緩い笑顔を浮かべた。

…瞳を揺らし、大粒の涙を流したナイはエルトレスの身体に抱き着く。

小さく「おっと」と呟いたエルトレスは抱き留めて、ナイの頭を撫でた。


エルトレス「ナイちゃん、大丈夫?」


優しい声音でエルトレスはナイに声をかけた。

ナイはエルトレスの胸に顔を埋めて、何度も頷く。

エルトレスは目を閉じ、腕の中の小さな子供のようなナイを強く抱きしめた。


エルトレス「…君もロザリも生きていてくれて本当に良かった」


遠い存在だけれども、それでも血縁者が生きていてくれるのはこんなにも嬉しいものなのだと、ナイとエルトレスは喜びを分かち合う。


●●

北の大陸の宿泊施設に泊まっていた一行。

ロザリアとナイの連絡が取れない事で宿泊していたメンツは皆、一部を除いて大騒ぎだった。

タキはアレクス達の下の階の部屋を借りていた。

部屋の位置もちょうど、アレクス達の部屋の下だった。

上から何か物音が聞こえてきてタキは小さなフリージアとともに読んでいた絵本を読むのを止めて、天井を見た。

防音設備の無いような安い宿泊施設は借りない。


タキ「うるさ…」


腹が立ったタキはフリージアを連れて上の階の部屋の住人に文句を言ってやろうと部屋をでた。

タキはフリージアに触れる事は出来ない。

だが、フリージアと移動するときは手を繋ぐ真似をする。

そうするとフリージアは嬉しそうに笑うのだ。

タキはフリージアの笑顔で怒りが少し癒された。

しかし、文句を言わないと気が済まない。

上の階にエレベーターに乗ってきたタキは赤い絨毯が敷き詰められた廊下を歩く。

タキは迷うことなく、アレクスとアサギに割り当てられた部屋の前に小さなフリージアを連れてきた。

タキはコウから渡されたカードキーを部屋のドアにつけられたカードリーダーにスライドさせ、ロック解除の表示がされたのを見た後にドアを遠慮なく開けた。 

小さなフリージアを連れて、タキは部屋の中を進んだ。

リビングに来た時、タキは溜息を吐いた。フリージアはきょとんとした表情を浮かべた。


タキ「何してんの?宴会の余興?早くない?」


怒りと呆れがこみ上げてきたタキはリビングの惨状を見て辛辣に吐いて捨てるように言った。


クラウン「タキ」


タキが来てようやく希望の光が見えたとクラウンは嬉々とした表情を浮かべる。

リビングの、ちょうどタキとフリージアが入ってきたアーチのリビングの入り口の前には剣を構えたイーグルがタキの視界に入った。

クラウンはそこから少し離れた場所でレオを背後にやって立っている。

リビングからアレクスとアサギのそれぞれの寝室に通じているドアがある。

アレクスの寝室に通じるドアの前には勿論、刀を手にして立つアレクスの姿が…。


アレクス「退け!イーグル!」


顔色の悪いアレクスがマギア・アルマの刀を手にして、自分を行かせまいと立ちはだかっているイーグルに怒鳴った。

ナイの危機と全快でない身体で、無茶を押してマギア・アルマの現出でアレクスの顔色が悪いのだろうとタキは理解した。

有事の際は見逃すが現時点では見逃せない、とタキは呆れながら詠唱も特にせずアレクスに向かって魔法を放った。


タキ「チェイン」


タキが魔法の名を言った後、すぐにアレクスの足元に四つの紋章が展開される。

紋章から光の鎖が現出し、それは伸びて瞬く間も無くアレクスの体に巻き付いた。

鎖に拘束され身動きが取れないアレクスはすぐに鋭い眼差しでタキを睨み付ける。

タキはそんなもんどこ吹く風と言わんばかりに平然としていた。


タキ「…たかだか、初級の拘束魔法も破れない人がナイを助けに行くとか冗談にしか聞こえないんだけど」


アホナノ?何時からそんなに阿呆になったの?

そう言わんばかりのタキの責めにアレクスは言葉を詰まらせたが…。


アレクス「だが、またナイが無茶をしたら…!」


先のノービリスとの戦いでナイはヴァイスムーンドライブを使い、吸血鬼(ブラッディロード)の力を行使した結果、脳にまでダメージがいった。

そのせいで暫く、ナイの体調が悪かった。

レオとイーグルはアレクスはてっきり見守っているのかと思っていたら、凄く心配してたのかと納得した。

アレクスの本心はナイに無茶させたくない。

タキもそれはよく解っている。

かつての自分も同じ想いをした。

傷が絶えない、包帯姿が多い。それでも平気だと笑う主の姿を思い出してタキはアレクスに近づき、アレクスの額を指で小突く。


タキ「アホ、僕がそんな事させないよ。ナイは大丈夫」


…何故なら、ナイの傍にいるのはかのアステルナ陛下その人だ。

月の王の中では歴代最強と云われ、アステルナを超える王は現れなかった。

その可能性があるロザリアは結局、王位の座にはつかなかった。

だが、タキはアステルナの名前は出せない。

本人がまだ自分の正体を隠していたいのだろう。

良くも悪くもアステルナの存在は状況を変える力がある。

今の状況を保っていたいのなら、余計な変化は起こさない方が賢明だ。


タキ「ナイよりも何かあるとしたらロザリアの方かもね…」


タキはナイの事を聞かれれば、まずい流れになると考えた。

話題逸らしにロザリアの名前を出したが、リビングの端に避難していたソウマが反応した。 


ソウマ「ロザリアが…?」


ソウマが声を発して、存在に気付いたタキは苦笑した。

…めんどくさい事になった。

エルトレスとナイは未だに結界の中にいた。

先ほど放った魔法でも結界は壊れなかったのだ。

マリオネット達は消滅させたが…。

エルトレスはナイの手を引き、歩いてみることにした。

マリオネットの主はまだ、姿を見せない。

しかし、エルトレスは感じていた。

マリオネットの主である吸血鬼(ブラッディロード)の気配を。

エルトレスはすぐに何かの力に気付いた。

それはただ一心にナイへと向けられたものだ。

…強い殺気。

ナイを貫かんとするそれを、エルトレスはナイの肩を突き飛ばして自分が受けることに何の躊躇いも無かった。


ナイ「…、エルちゃんっ!!」


ナイの悲鳴が辺りに響き渡り、エルトレスの血が辺りに飛び散った。

エルトレスに襲いかかる激痛。

意識を保つことすら困難な痛みがエルトレスを蝕む。

だが、エルトレスは笑った。

自分の肩に突き刺さった赤い剣。

躊躇せず、エルトレスは剣の刃を反対の手で掴む。

掴んだ指からも血が流れるがエルトレスは構わなかった。

湿った音と共に、エルトレスはナイを狙って飛んできた赤い剣を自分の肩から引き抜く。

…愛しい痛み。懐かしい痛み。

エルトレスは笑い、次の瞬間にはその姿は変化していた。


アステルナ「ふふ、少し荒すぎたかな…」


エルトレスが立っていた場所に、銀髪の青年が立っていた。

美しい金の瞳を細めて。

月の一族を統べる三代目月の王アステルナ。

搾取されるエーデルシュタインを保護し、その人権を確立させた彼。

だが、民からは愚王と呼ばれた。

自国は彼を排除しようとしたが、それは全て失敗している。

あらゆる刺客を自ら返り討ちにしてきたアステルナはこうも言われていた。

狂気の武人、と。


第三十話に続きます