第32話 変化

ソウマは自分が何者か解らなかった。

目が覚めたら檻の中で、記憶は残っていなかった。

自分の名前、自分の家族。そういった記憶は何も無く。

ただ、脳裏に何かの光が焼き付いていた。

白い、月の光のような…。

檻の中でソウマは膝を抱えてその光の事を考えて日々を過ごした。

…数日後、一人の男が檻の前に来た。

高そうな衣服と高価な装飾品を身に着けた男はソウマを見るなり「素晴らしい」と笑う。

ソウマは高値で男に買われた。

だが、その男もすぐに死んだ。

ソウマを欲しがる者に殺されたのだ。

…そう、皆ソウマを取り合って殺し合い、大金を積み、時には自滅する。

…この身には何もないのに。

ソウマは思い、目を閉じ何も見ない事にした。

空っぽの自分にあったのは脳裏に焼き付いて離れない光と、歌。

奴隷として売買を繰り返され、やがてプロヂューサーに高値で買われてアーティストとしてデビューするまで…。

ソウマは心無い人形のように日々を過ごした。

…ロザリに出会った時、その存在に強く惹かれた。


ソウマ(空っぽの俺とは違う。君の目は何時も強く、優しい)


ソウマは胸部の前で両手を組み、口を開く。

今でも鮮明に覚えている。

記憶に焼き付いている白い光り。

まるで君の様だ、とソウマは思った。

喉を震わし、紡ぐ言葉が君の助けになって欲しい。

ソウマは歌う。


耳に届く歌声。

ロザリオは背後のソウマから聞こえる歌を聴く。

この歌を聴くと安心する。


ロザリオ(ありがとう、ソウマ)


本当はブラッディブレイドを使う自信が無い。

この力が何もかもを壊してしまいそうで…。

けれど、ソウマの歌を聴くと出来る気がするのだ。

ロザリオはブラッディブレイドの柄を握り締めて、構えた。


ヴェレッドロード「…!来る…」


ヴェレッドロードはロザリオの目を見て、自身もブラッディブレイドを構えた。


イオリ「ロード様ッ!」


イオリは悲痛な声と共に、建物の上から愛しい人の名前を呼ぶ。

吸血鬼(ブラッディロード)同士の、ブラッディブレイドのぶつかり合いが危険な事なのはイオリも知っている。

ヴェレッドロードに敗北は無い。そう信じているイオリには拭えない不安が胸中にあった。


ソウマ(ロザリ…!)


ロザリオの後ろでソウマは歌い続けながら、ロザリオを想い信じる。

ロザリオは地面を蹴る。

女性化している時よりも駆ける速度は速く、あっという間にヴェレッドロードの懐に入った。

ヴェレッドロードは手にしていた己のブラッディブレイドをロザリオに向けて振るう。

ロザリオはそれを空いてる手で受け止めた。

手のひらに食い込む、ブラッディブレイドの刃。

ロザリオの手から血が流れる。

ロザリオはヴェレッドロードの剣を止めた。

今、ブラッディブレイドを振るえばヴェレッドロードを討てる。

だがロザリオはヴェレッドロードの腹に蹴りを入れて、跳ばした。

ヴェレッドロードは後方に吹っ飛ぶ。

ロザリオは己のブラッディブレイドの柄を両手で握り締め、振り上げ。

そして、地面に叩きつけるように振り下ろした。

一瞬にしてロザリオのブラッディブレイドから赤い光りが放たれ、赤い光りは広がる。

結界は光に満たされ、音をたてて崩壊した。

ソウマの耳にガラスが砕けたような綺麗な音が聞こえる。

それこそが結界が壊れた音。

結界に満ちた光に目を閉じていたソウマの耳に高い声が届く。


ロザリア「ソウマ、目を開けても大丈夫だよ」


耳に聞こえたロザリアの言葉に従ってソウマはゆっくり瞼を上げた。

ソウマの視界には賑わっている商業区の街並みが映り、ソウマは「あれ?」と辺りを見回した。

吸血鬼の結界の中では無い。

今、ソウマが目にしている光景は普通の街の中だ。

ソウマは首を傾げて傍にいたロザリアを見た。

ロザリアはソウマの視線の意味を理解し、彼の疑問に答える。


ロザリア「ヴェレッドロードの結界を壊したわ」


言ってロザリアは自分の手を後ろに組み、微笑む。

…震える手を隠すように。

ソウマはロザリアの言葉に納得し、だが敵の二人の生死が気になった。

あれだけの力を解放されて無事なのだろうか…?

敵になったとはいえ、イオリはかつてソウマと共に桜華としてステージに立っていた。

ソウマにはイオリへ情があった。


ソウマ「…ヴェレッドロードとイオリは?」


ソウマはロザリアに聞いた。

聞かれたロザリアは「ううーん」と唸り、目を固く閉じる。


ロザリア「無事、だと思うわ。ヴェレッドロードはあれでも最上位の吸血鬼みたいだし…」


持てる全てを持って制御した。

ソウマとロザリアも無事なのだ。きっとヴェレッドロードとイオリも無事だろう、とロザリアは前向きに考える事にしていた。

ソウマは「そうか」と呟き、先ほどからロザリアの様子がどこか変だと気付く。

…顔色が悪い。

調子が悪いのか、とソウマは聞こうとしてロザリアの肩に手を置く。


ソウマ「ロザリア、どうしたの?体、震えてる…」


ソウマに言われ、ロザリアは「バレたか」と小さく笑った。


ロザリア「私、ブラッディブレイド使うとこうなっちゃうのよね…」


言ってロザリアは「正直、立ってるのがやっとね」と何てことはないように笑って言うが、ソウマは首を横に振った。


ソウマ「すぐに宿泊施設に戻ろう」


先ほど、結界の中にいたせいかソウマは平和で賑やかな街並みに違和感があった。

けれど、隣にいるロザリアの顔色が青白く、震えている体を見るたびにソウマは不安になった。


ソウマ「俺がもっと強ければ、君を守れるのに…」


ソウマが肩を落として呟く。

ロザリアはソウマの手を未だに震えている自分の手で握った。


ロザリア「ソウマ、帰ろ」


言ってロザリアは力なく笑う。

ソウマは彼女の笑った顔を見て更に不安になるが、早く休ませようと「うん、帰ろう」とロザリアに同意した。

しかし、商業区の街中で帰路につこうとしたロザリアとソウマは運が悪かった。


キリヤ「お前は…!」


金色の長い髪、真紅の瞳。

ソウマと同じく全てを魅了する美貌の持ち主である青年がロザリアを見て警戒心を隠さずに声をかけてきた。

ロザリアは背後から声をかけられ、振り向き。自分の背後に立っていた男だが麗しいの言葉がやけに似あうエルヴァンスの子息を見て「うげ」と嫌そうな声を上げた。


ロザリア「うわあ…、」


先の学園の襲撃事件でやり合った相手だ。

しかも、それなりの手練れだ。

今、会ってもロザリアにはほとんどの力が残っていない。

ソウマはロザリアの明らかな嫌そうな顔を見て再び首を傾げた。


ソウマ「…知り合い?」


ソウマはやや低い声を出してロザリアに聞く。

白金の髪の青年の件もあってか、夫の浮気を勘ぐりする妻のように不信感を隠さない。

ロザリアは喉に食べ物が詰まったような苦しさと、ソウマの視線に気まずさを感じたが一応、小声でソウマに説明した。


ロザリア「…学園ヴィルシーナのトップクラスのアタッカーで北大陸一の名家で富豪のエルヴァンス家の一員よ」


ロザリアの説明にソウマはキリヤの方に向き、キリヤをまじまじと見た。

金色の長い髪を後ろに一つに束ね、宝石のような真紅の瞳。滑らかな肌、整った顔。

ソウマはキリヤの顔を見た後に頬を膨らませる。


ソウマ「ロザリア、彼好み?」


ソウマの突然の質問にロザリアはずっこけそうになった。

キリヤは困惑し、眉を寄せてソウマを見ていた。


ロザリア「そ、ソウマ…?」


ロザリアは「え、どうしたの?」とソウマに聞く。


ソウマ「だって、吸血鬼は綺麗な人が好きなんでしょ?彼、綺麗じゃないか」


吸血鬼は確かに綺麗な外見の者を好む。

…ロザリアは吸血鬼になる前から綺麗な人が好きだが。

ソウマは不安なのか眉を下げ、ロザリアを見ていた。


ロザリア「まあ、顔は確かに綺麗だけど。でも、彼も吸血鬼よ?」


ロザリアの言葉にソウマは「え」と声を上げてキリヤを見た。当のキリヤも鋭い視線をロザリアに向けていたが、ロザリアは気にしていない。

イーグルに睨まれても気にしないのが彼女。

というか、ロザリオと同一人物だ。

ロザリアは気にせず、キリヤを目の前にして言葉を続ける。


ロザリア「そんでもってエーデルシュタインでもある。父親の当主が一番過保護に」してるのがキリヤ・エルヴァンスなのよ」


キリヤ「…何でそれを」


ロザリアの言葉にキリヤは完全にロザリアに敵意を向け、ロザリアは変わらずしれっとしていた。

体力すっからかんで手震えてるのに。

ロザリアは自信有りと笑う。


ロザリア「裏の業界で有名よ?貴方を捕えれば世界も買えるって、」


積極的にケンカを売ってるのかロザリアの言葉にキリヤは帯刀しているソレール・アームズに手をかけた。

だが、キリヤの戦意は呑気で明るい声によって遮られる。


エルトレス「ロザリアーーーー!!」


着ているメイド服を真っ赤に染め、身体の至る所に血がこびりついているが元気にロザリアとソウマに手を振っているエルトレスと、黒くて丸い物を抱えているナイが商業区に行き交う人々の注目を集め。

少し離れた場所でエルトレスとナイは立っていた。

ロザリアは「あれ、何?」とナイの抱えてる謎の黒い物体を指さしているがソウマはエルトレスの恰好に驚いて声を上げた。


ソウマ「エルトレス、血、血が…!」


恰好がどうみても血まみれのエルトレスにソウマはロザリアを見るが、ロザリアは「ああ、うん」と曖昧な言葉を呟いただけだった。

それよりも、キリヤはエルトレスを見て固まり。エルトレスもキリヤの姿を視界に入れた途端に表情を強張らせ、大きく目を見開いていた。

二人の様子を見てロザリアは「ああ、そうか」と納得した。


ロザリア「エルトレス、エルヴァンス家でメイドしてんだっけ」


ロザリアの言葉にソウマはエルトレスとキリヤを交互に見た。


ソウマ「…知り合い?」


ソウマの疑問にロザリアは頷き。ソウマは口元に自分の指をあて、もしかして良くない再会なのではと思ったが、ソウマの予想通りだった。

キリヤはエルトレスに鋭い視線を向け、エルトレスは眉を下げて泣きそうな表情を浮かべている。

北の大陸の街の一つ。その街の中の商業区でまさか再会するとは思っても無かった。

賑わう人々の中でピリピリとしたキリヤの空気と血まみれの衣服を身に着けて、悲しそうな表情を浮かべるエルトレス。

キリヤはエルトレスを睨み、低い声で言う。


キリヤ「何故、お前がここにいる」


キリヤの質問にエルトレスは無言だった。


エルトレス「……」


答える気は無い。

エルトレスは記憶を取り戻し、己のすべきことを思い出した。

かつての愚かな自分が出来なかった事を今度こそ…。

エルトレスはキリヤの顔を見る。

キリヤの真紅の瞳に映っている自分、キリヤはどうエルトレスを捉えているのか。

深く考えるまでもない。

きっと、キリヤは自分を敵と思っている。 

ピリピリとした空気の中、ロザリアは体を横に揺らす。


ロザリア「…あの、エル、悪いんだけど…もう」


空気を読んで耐えていたが、限界が来ていた。

ロザリアはふにゃりと軟体動物のように手足を揺らし、地面に向かって倒れた。


ソウマ「ロザリア…!」


ソウマは倒れたロザリアが地面に激突する前に、彼女の体を支えた。

ロザリアの名前を呼ぶが、ロザリアは反応せず。

慌てて駆け寄ってきたナイが、黒い物体を抱えたままソウマの腕の中のロザリアの顔を見る。


ナイ「ロザリア…!」


ナイが呼びかけてもロザリアは反応しなかった。

不安を感じたナイは助けを求めるようにエルトレスを見る。

エルトレスは苦笑し、キリヤの横を通り過ぎてソウマとロザリアのもとへと向かった。

ソウマの腕の中のロザリアをエルトレスは見た。ロザリアは眠っているようだ。


エルトレス「…大丈夫。ブラッディブレイドを使って疲れたんだよ。ソウマ君の血を飲ませて三日安静にしていれば元に戻るよ」


エルトレスの診断にソウマとナイは表情を明るくさせた。

二人の顔を見てエルトレスはキリヤの方を向く。

キリヤもまっすぐにエルトレスを見てきた。


キリヤ「…エルトレス。その学園が生物兵器を隠しているのを知っているな?」


キリヤは警告だとエルトレスに刀の刃のような鋭い眼差しを向ける。

それを真向に受け止めてエルトレスは頷く。


エルトレス「キリヤ様、私は生物兵器だとは思ってません。あの子は何も知らずに生まれたんです」


エルトレスは目を閉じ、微笑む。


エルトレス「キリヤ様は何も思わなかったのですか?」


エルトレスは目を開き、キリヤに問うた。

だが、エルトレスの問いにキリヤは首を横に振る。


キリヤ「与えられた任務に否を唱える気は無い」


キリヤははっきりと言った。

彼の言葉にエルトレスは目を細める。

…それでは駄目だ。


エルトレス「それではご学友を救えませんよ 」


エルトレスが言っているのは、イオのことなのだろう。

キリヤは察し、けれどもエルトレスの言葉の真意を計りかねた。


キリヤ「どういう意味だ。何を知っている?」


キリヤの質問にエルトレスはおどけた風に首を傾げた。


エルトレス「エルトレスは何も知りません。無知ですから」


言って少女は笑みを浮かべた。


そう、キリヤの知るエルトレスという人物は無知な少女。

まさしくそれだった。

そう思われていることをエルトレスは知っていた。


第三十三話に続きます