第33話 想い

少女はいつも笑っていた。

幼い頃、キリヤが無茶をして木から落ちた時もエルトレスはキリヤの下敷きになって助け、笑っていた。

キリヤが誘拐された時も少女は自身を省みず、キリヤを庇って大怪我した時も。

無知で何も考えていない。

キリヤはエルトレスをそう思っていた。

成長し、キリヤは自分が師へと向ける気持ちに気づいた時。キリヤは自分の後ろにくっついてくるエルトレスを疎ましく思い、そして彼女に嫉妬した。

エルトレスの様に女性として生まれたかった。

そうすれば、彼も自分に向いてくれたのではないか。

キリヤは胸中に抱えた苦しみを全て、エルトレスにぶつけてしまった。

今思えば、何て身勝手な事をしたのか。

キリヤは目を閉じて、己を恥じる。


キリヤ(結局、まだ謝っていない…)


一刻前に自邸に戻り、キリヤはすぐに入浴を使用人に勧められた。

夕食に当主である父親が家族を集めると言っていた。

気乗りはしないが仕方ないとキリヤは慣れた邸宅のバスルームに足を踏み入れ、身に着けていた衣服を全て脱ぎ、浴槽に浸かった。

大きな窓、一人で入るには広すぎる浴槽。

床は大理石で造られ、手入れのされた植物が癒しと彩を与えている。

キリヤは浴槽に溜められたお湯に身体を沈め、浴槽に身体を預けてエルトレスの事を思い出す。

行方不明になった後に再会した元使用人の彼女は少し前のエルトレスとは違った。

馬鹿みたいに明るく笑っていたのに、再会した時…。


キリヤ(あんな風に、哀しく笑う奴じゃなかった)


そして、キリヤにエルトレスは去り際に言葉を投げて来た。

…キリヤがこのままではイオは救えない。

エルトレスは確かに言っていた。

風呂に浸かりながら考え込むキリヤに、双子の弟のアーシェルが壁越しに心配そうに声をかけて来た。


アーシェル「キリヤ、大丈夫か?のぼせていないか?」


心配性な双子の弟はよく風呂にまで護衛でついてくる。

否、仕方ないのだ。

エーデルシュタインの中でもキリヤの価値は飛び抜けている。

幼い頃、外に出る事はほとんど許されず。多少、成長しても外にでる時は護衛が大量につけられ、自衛ができるようになっても護衛は今でもついてる。

キリヤは至高のエーデルシュタイン。

産まれた時から、一人でいることはほとんど許されない。


キリヤ「…大丈夫だ。もう出る」


キリヤは一息吐くと、浴槽に沈めていた身体を起こして立ち上がった。

浴槽の縁に腰をおろすと、壁からタオルが投げられた。

アーシェルが投げて来たのだろう。

キリヤは受け取り、自分の身体を包む。


キリヤ「…アーシェル。先の件でやりあった学園について何か知っていることは無いか?」


アーシェル「連盟にとある学園とかいうふざけた名前で登録した南大陸の学園、それだけしか知らない」


アーシェルは「その学園がどうかしたのか」とキリヤに聞く。

キリヤは少し間を空けて、アーシェルに答えた。


キリヤ「…エルトレスは、その学園の生徒になった」


アーシェルは「何?」とキリヤの答えを聞き返す。

先の件での事は参戦しなかったが、アーシェルも知っている。

太陽帝国の王室直々の依頼だった。

危険な生物兵器の破壊が任務の内容。だが、生物兵器を持っているとされる学園に抵抗され、途中でイオが倒れて結果の話しをすれば任務は失敗。

キリヤとイシュの話しから、その学園はヴィルシーナに匹敵する戦闘系生徒がいる、という認識になった。

アーシェルは目を伏せる。


アーシェル「そうか、アイツがな…」


アーシェルは思い出す。

記憶の中、エルトレスは馬鹿みたいに元気で明るかった。悩みも無さそうに、何も知らない子供のような少女だった。

キリヤに恋をし、拒絶されて傷つき。

そんなエルトレスがヴィルシーナと太陽帝国に目をつけられた学園側につく。

それはエルトレスとキリヤの敵対を意味する。


アーシェル(…エルトレスは本当に、キリヤと敵対するつもりなのか…?)


北の大陸の宿泊施設に帰ってきたナイは先ず、自分が借りている部屋にエルトレスを連れて戻った。

気を失ったロザリアはソウマが連れて行ったので任せ。

…フリージアの待つ部屋に戻ったナイは抱き抱えている黒い物体を宙に離す。

黒い物体は宙に浮き、羽と頭を出した。丸い胴体、耳のある頭。小さな羽と鳥のような三本足。

目は丸くて可愛らしく、全体的に愛嬌のある姿形ではある。

部屋でナイの帰りを待っていたフリージアはソファーに座って、黒い物体を眺めて首を傾げる。


フリージア(大人)「ナイ、それどうしたの?」


フリージアの問いにナイは身体を大きく揺らす。

何とも言い辛そうに、眉を下げてフリージアを見た。


ナイ「うん、フリージアに何かお土産買って来ようと思ってたんだけど、吸血鬼と戦闘になって…この子拾ったら何もお土産買ってこれなかった」


フリージア(大人)「私の事は気にしなくていいの。それより怪我は無い?」


魔界の欠片によって生み出されたフリージアも一般的な知識はある。

吸血鬼(ブラッディロード)は強大な力を持つ種族だ。

それとの戦闘はなるべく避けた方がいいのも。

フリージアはナイの怪我を心配するが、ナイは特に外傷は見当たらなかった。

ナイの傍に立つレモンイエローの髪の少女は血まみれだが。


ナイ「僕はエルちゃんに守ってもらってたから平気だよ。…エルちゃん、治療魔法かけなくて大丈夫?」


ナイは傍に立つ、エルトレスに聞くがエルトレスが答える前に、黒い物体が喋った。


のーたん「平気だよ。この人はもう、傷塞がってる」


黒い生物は小さな羽を動かし、エルトレスの周りを飛ぶ。

エルトレスはにこにこと呑気な笑みを浮かべている。


エルトレス「私は自分の部屋に戻って休むね。のーちゃん、ナイちゃんをよろしくね」


服をどうにかしなきゃね、とエルトレスは己の血で染まった服の一部を掴んで言った。

吸血鬼(ブラッディロード)のノービリスとの戦いでエルトレスはかなり傷を負っている。

本人はけろっとしているが、負荷も相当かかっている筈だとナイはエルトレスを見つめるが、エルトレスは変わらず笑っていた。

エルトレスにのーちゃんと呼ばれた黒い生物は「はあ?」とエルトレスに食って掛かろうとするが。


エルトレス「ナイちゃん達をよろしくね?」


黒い生物の頭を片手で鷲掴み、エルトレスはやはり笑った。

唯、かなり圧力のかかった笑顔だったが。


のーたん「きゅうう~」


黒い生物が情けない声を上げる。

エルトレスは掴んでいた頭を離すと、歩みを進めて部屋と廊下を繋ぐ扉の方へと向かう。

ナイとフリージアに向かって、一度振り向きエルトレスは二人に向かって手を振った。


エルトレス「またね、ナイちゃん。フリージアちゃん」


言って、エルトレスは扉を開けて出て行った。

エルトレスが扉を閉めた後、フリージアはナイを見た。


フリージア(大人)「…何だか不思議な子ね」


ナイ「う、うん」


…ナイは曖昧な返事しか出来なかった。

まさか、自分の遠い祖先で世界でも有名な偉人だとは言っても信じて貰えないだろう。

それにエルトレスは己の正体は隠したままにしてくれと言っていた。

ナイの頭の上に黒い生物は乗っかり、大きく息を吐く。


のーたん(この僕をこんな姿にしたあげく、結界まで…。一体、何者なんだ)


ナイは部屋で休もうとしていたが、出入り口の扉が勢いよく開いた。

それなりに大きな音がして、ナイは驚いて部屋と廊下を繋ぐ出入り口を見た。

ナイの視界に銀の光が映り、瞬く間も与えられずにナイは誰かの温もりに包まれ。

しかし、ナイはその温もりが誰のものなのかすぐに解った。

…黒い生物を拾った手前、素直に彼との再会を喜べなかったが。 


アレクス「ナイ!大丈夫だったか?」


アレクスは先の吸血鬼(ブラッディロード)との戦いで無茶をし、脳に負荷までかかったナイをとても心配していた。

今回もまた無茶をしたのでは無いかとナイの身体を抱き締めて、無事を確認する。

ナイはアレクスの腕の中で顔を上げて、アレクスに笑みを向けた。


ナイ「大丈夫だよ。エルちゃんが助けてくれたから」


ノービリスとの戦いでナイを庇って傷を負い、戦ったのはエルトレスだった。

ナイはアレクスに皆までは言わなかった。

エルトレスがそれを望まないからだ。


ナイは思い出す。

ノービリスの結界から出て、アステルナはナイに向かって行ってきた。


アステルナ「ナイ、俺の存在は仲間達にも隠しておいてくれないか?」


アステルナの言葉にナイは首を傾げる。

何故なのか…。

ナイの疑問を察し、アステルナは金の瞳を細めて答えた。


アステルナ「…太陽の一族との長き戦いは裏で糸引いてる連中がいる。俺の存在を奴らに気づかれれば、奴らはナイ達を潰そうとするだろう」


それは今の状況では得策では無い。

アステルナは言葉を続ける。


アステルナ「今の状況では奴らを倒せない…」


言葉の後、アステルナは悔しそうに唇を噛んだ。

彼の様子を見てナイはアステルナの言葉を思い返す。

…長き戦いの裏に糸を引くもの。

それが何を意味しているのか、今のナイには解らなかった。


本の先程の、アステルナとの会話を思い出したナイはアレクスに何て誤魔化そうと考えた。

だがアレクスの興味はナイの頭の上に移っている。

アレクスは目を鋭く細めて、ナイの頭の上に乗ってふんぞり返る黒い生物を見た。


アレクス「ナイ。何だ、このデブな蝙蝠は」


ナイはアレクスの言葉に肩を大きく跳ねさせ、どう説明したものかと額から汗を流した。

…その蝙蝠、ノービリスです。

何て本当の事を言ったらアレクスは怒って斬りかねない。

ナイはどう言うべきかとぐるぐる考えた。

当の黒い生物は丸い目を三角に尖らせ、口を大きく開けてアレクスに抗議する。


のーたん「デブとは何だー!僕は上位ぶっ…!」


ナイ「あ!のーちゃんの事紹介するね!アレクス」


怒り、自分の正体を明かそうとする黒い生物の身体を両手で挟み、ナイは黒い生物の言葉を遮るように慌てて言った。

頭の上で黒い生物が不服そうに鼻を鳴らしていたがナイは無視した。


ナイ「えと、名前はのーたん。道で怪我していたのを拾ったんだよ」


正確には二人の吸血鬼(ブラッディロード)の力にノービリスの結界は耐えきれなくなり、崩壊だけでは済まなくなった。

ノービリスがなりふり構わずブラッディブレイドの力を使用したのが大きな原因だったのだが。

アステルナがいなければノービリスもナイも死んでいたのだろう。

彼が二つのブラッディブレイドの力からナイとノービリスを庇い、負傷しながらも結界と二人のブラッディブレイドを斬ってくれたおかげでナイとノービリスはこうして存在している。

だが、本当の事は言えない。

ナイの道で拾ったという説明にアレクスは眉を寄せ、「そうか」とこの場では納得してくれた。


ナイ達と別れた後、ソウマはロザリアを抱えて自分が宿泊している部屋に戻った。

ロザリアは未だに目を覚まさず、ソウマは不安な気持ちを完全に拭う事は出来ず。ロザリアの身体をベッドの上に横たえた。

ロザリアの銀色の髪がベッドの上で流れる。それを指で梳き、ソウマはロザリアの頬を手のひらで撫でた。

ソウマはタキに言われた言葉を思い出す。


ソウマ「…ロザリアの中にずっといる人、」


どんな人なのか。

ロザリアの心に消えない傷を残し、未だロザリアの心の内にある。

それを理解しなければロザリアとは一緒にいられない。

ソウマはエメラルドグリーンの瞳にロザリアの寝顔を映し、思う。

…知りたいことが沢山、ある。けれどロザリアは教えてくれるだろうか。

ソウマの心中の想いに、気づいたのかどうかは解らないがロザリアは瞼を持ち上げた。


ロザリア「…ソウマ、」


まだ本調子では無いのだろう。

弱弱しい声でロザリアはソウマの名前を呼ぶ。


ソウマ「ロザリア、大丈夫?」


ロザリア「うん、といいたいところだけどまだ本調子じゃないみたい…」


ロザリアは眉を下げて笑う。

ソウマは仰向けに横たわるロザリアの顔の横に手をつき、身体をロザリアに寄せた。


ソウマ「俺がもっと強ければ…」


君を守れるのに。

ソウマが全てを言わずともロザリアにはお見通しだった。

ロザリアは目を閉じて、微笑む。


ロザリア「そんなこと、ないよ。ソウマの歌があったから、私は自分のブラッディブレイドが使えたんだから…」


あの時、ロザリアはギリギリまで迷っていた。

…己のブラッディブレイドを使うかどうかを。

ソウマの歌が無ければ踏ん切りがつかなかっただろう。


ソウマ「…ロザリア」


ロザリア「ありがとう、ソウマ」


ロザリアの言葉にソウマは想いが溢れ、ロザリアの唇に自分の唇を重ねた。

…一緒にいたい。

ソウマは強く願った。

自分の気持ちがロザリアに何を求めているのか、正直なところソウマは解らない。

けれど、この少女の傍にいたい。

ロザリアはこんな自分を受け入れてくれるだろうか…。

数十秒。

重ねていた唇を離し、ソウマは揺れるエメラルドグリーンの瞳でロザリアの顔を見つめた。


ソウマ「俺は、君の傍にいたい」


…君の心の中に誰かがずっと消えずにいても。

ソウマの想いを受け、ロザリアは目を閉じたまま自身の想いを口にした。


ロザリア「…いいの?私、想ってる人がいるよ」


ソウマ「うん。それでも、一緒にいたい」


ロザリアの想いにソウマは直ぐに答えた。


ソウマ「…君の心の中に誰かが消えずにいても、俺はロザリアといたい」


ソウマにとって、ロザリアがソウマの心を照らす光だ。

ロザリアの心を照らす事は出来なくても、その心を少しでも占める事が出来るなら。

…それでいい、とソウマは自分なりに答えを選んだ。

ロザリアはソウマの想いを聞き、目尻から涙を零す。


ロザリア(…ソウマ)


運命は繰り返す。

誰かがそう言っていた。

ロザリアも認めずにはいられなかった。

…運命は繰り返す。

それでも、最後には自分がソウマを守り抜けるようにと己の中で涙を流し続ける人に願った。

…今度こそ、守り抜けるように。


第三十四話に続きます